先日お伝えしたオラクルチームUSAのオーナー、ラリー・エリソン氏とアメリカズカップの関わりについてストーリーの続きです。
© ACEA/Photo Gilles Martin-Raget
Business Insider: Why Oracle Founder Larry Ellison NEEDS To Have The World's Greatest Competitive Team
爆弾低気圧の直撃を辛くも乗り切り、1998年のシドニー・ホバートレースを制したラリー・エリソンですが、当初はアメリカズカップに興味がなかったと言われています。
その彼がアメリカズカップに挑戦することになったきっかけについて、斉藤愛子さんが詳しくレポートされています。
斉藤愛子のSailing News: アメリカスカップ2003年情報 #1 ==あれから半年==
1995年サンディエゴで開催された第29回アメリカズカップにおいて、ラッセル・クーツ率いるチーム・ニュージーランドはデニス・コナーを破り、初めてカップをニュージーランドへもたらします。国民的英雄となったクーツは、2000年の第30回大会でも圧倒的強さを見せカップを防衛しますが、その直後チームの主要メンバーと共にスイスの大富豪エルネスト・ベルタレリ率いるアリンギへ電撃移籍してしまいます。
この衝撃的ニュースを<さよなら>のクルーから聞いたエリソンは、「それなら俺も」と自らのシンジゲートを立ち上げたのでした。BMWとジョイントし、BMWオラクルレーシングを設立したエリソンでしたが、2003年の第31回大会、2007年の第32回大会とも挑戦者決定戦(ルイヴィトンカップ)で敗退します。
© Kazenotayori
一方、アリンギに移籍したクーツは2003年の第31回大会でも圧倒的強さを見せ、母国ニュージーランドからカップを奪い去ります。しかし、その後運営方針を巡りオーナーのベルタレリと対立、結局アリンギを去ります。そして、第32回大会終了と同時にオラクルへ移籍、エリソン&クーツの最強タッグが誕生したのでした。
その後のルールを巡るアリンギとの法廷闘争、そしてモンスターヨット同士の対決となった第33回大会については、2007年から続く当ブログで詳しく記したとおりです。
かぜのたより アメリカズカップ編: 33rd America's Cup (カテゴリー)
© Jose Jordán/America's Cup Management
まぁ、今振り返ってみると全く先の見えない法廷での争いと、その結果生まれたルール無用の(厳密には19世紀の文書に則った)モンスターボート同士の対決と、かなりエキサイティングな第33回大会ではありました。それまでの"ヨット"というものの概念を完全に覆す怪鳥<USA17>をクーツと共に作り上げたエリソンは、アリンギとの一騎打ちを制し、遂にカップを手に入れるのでした。
エリソンにとっても、この第33回大会と<USA17>は特別な存在であるようで、現在もオラクル本社前に飾られ、また「オラクル・オープンワールド」のコンベンション会場へ引っ張り出されるなどしています。
さて、こうしてアメリカズカップに勝利したエリソンですが、この第33回大会だけで2億ドル(240億円)、さらに昨年の第34回大会には1億5千ドル(180億円)を投じたといわれており、その大半はオラクルからではなく、彼の自己資金から捻出されたともいわれています。
アメリカズカップの憲法である「贈与証書」の規定によると、現在のカップの所有者はエリソン個人でも、「オラクル・チームUSA」でもなく、彼らが所属するゴールデンゲート・ヨットクラブ(GGYC)ということになります。
GGYCには5名の委員からなる「アメリカズカップ委員会」が組織されており、エリソンとクーツもメンバーとして名を連ねています。よって、実質的には彼ら2人がアメリカズカップの行く末を決められる立場にあるといってよいでしょう。
そして、昨年開催された第34回大会において、彼らが伝統的なソフトセイルとモノハル艇を捨て、ウィングセイルとフォイリングカタマランによるダイナミックなスポーツへとアメリカズカップを変貌させたことはご存知のとおりです。
©ACEA/Photo Gilles Martin-Raget
エリソンは一体どこをめざしているのか?
この疑問に対し、昨年サンフランシスコの自宅 (桂離宮を模したあの和風大豪邸) でCBSのニュースキャスター、チャーリー・ローズのインタビューを受けたエリソンは、以下のように答えています。
CBS News: Oracle CEO Ellison on America's Cup racing: "It has to be a little bit risky"
「我々はいかにして若者に受け入れられるスポーツになれるかを、他のスポーツと競い合っているところなんだ。セーリングをもっとエキサイティングで現代に合ったスポーツにしなければならない。いつまでも1851年のままというわけにはいかないからね」
---- 新しいボートに対して『あれはもうアメリカズカップではない』『やりすぎだ』という批判がありますが?
「オリンピックにプロが出場することにだって批判はある。人は変化が嫌いなんだ。スケボーをオリンピック種目へ加えることにも多くの批判がある」
---- でもそれは別の話ですよね。これは単なる変更というレベルの話ではなくて、それまでの考え方を根本から変えてしまうような大変革です。
「例えばスノボを入れたことも、オリンピックにとって大変革だったといえるだろう。我々はスポーツを時代に合わせていかなければならないんだ」
---- でも、それはカネがかかると同時に危険でもあります。バート・シンプソンの事故はあなたにとって心の痛手となりませんでしたか?
「我々はアメリカズカップをエクストリームでエキサイティングなスポーツにすると決めた。だが、決してセーラーが怪我をするほど本当に危ないスポーツにするつもりはなかった。セーリングの世界は小さい。彼の死は家族が死んだのと同じで、決して忘れられるものではない」
---- この事故が起きたとき『やりすぎた』とは思いませんでしたか?
「それは私も考えた。だが、今は正しい選択をしたと思っている。セーリングを (一部金持ちのスポーツから) 広く経済的にも受け入れられるものにするには、もっと速くて先進的なボートが必要なんだ。テレビで観ても面白くて、若者の間でもっと人気が出るようなスポーツにならなければならない。そのためには、見ている人が少しハラハラするくらいの方がいいんだ」
--- あなたはもうアメリカズカップに勝利したではないですか。なぜラリー・エリソンほどの人物が『よっしゃ勝ったぞ!また最速のボートと最高のセーラーを揃えて何度でも勝ってやるぞ!』というような行動をとるのですか?
「おかしなことなんだが、2回続けて負けた後、私の性格的に負けているうちはやめられないことに気づいた。そして今度は勝った後、性格的に勝ってるうちはやめられないことに気づいたんだ。まるでワナにハマったようなもんだよ。私はタバコを吸わない代わりに、ヨットにハマってるんだ」
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エリソンとクーツがアメリカズカップのスタイルを全く変えてしまったことに、批判があるのは事実です。しかし、このインタビューからはセーリングの将来を憂い、変えていかなければならないという彼の強い信念が感じられます。
確かに昨年サンフランシスコでAC72によるバトルを観たとき、ブログ主とんべえも「こりゃスゲェ!」という衝撃を受けると同時に、ヨットレースが全く新しい次元に入ったことを実感しました。
セーリング人口がどんどん高齢化しているなか、次世代にこのスポーツの面白さを如何にして伝えるか、この命題に対するひとつの回答であることは間違いありません。
今年の9月ラリー・エリソンは長年勤めてきたオラクルのCEOを辞め、CTOに退きました。これによって空いた時間で、彼はこれまで以上にアメリカズカップに深く関わるであろうともウワサされています。これから彼とクーツがアメリカズカップの未来、そしてセーリングの未来に対しどのようなビジョンを示して行くか、今後も注視していきたいと思います。
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JSAFアメリカズカップ委員会は日本のアメリカズカップ再挑戦へ向けて活動しています。
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