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2009年1月 6日 (火)

"ニュージーランドの希望の星" ディーン・バーカー (完全版)

このところアリンギとBMWオラクルの裁判絡みの話が続いていましたが、ルイヴィトン・パシフィックシリーズ(Louis Vuitton Pacific Series )も近づいてきましたので、ここらで少し気分転換を兼ねて、以前お伝えしたニュージーランド・ヘラルド紙のエミレーツ・チーム・ニュージーランドのヘルムス兼スキッパー、ディーン・バーカー(Dean Barker)に対するインタビュー記事の全文をお伝えすることにします。(前回ご紹介した前半部分も、あらためてここに記載します。)

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ディーン・バーカーは、チーム・ニュージーランドがプラダ2000を5タテで破った最終戦で、防衛艇 NZL-60 のヘルムをとった時、アメリカスカップの歴史に新たな1ページを刻んだ。その時彼は26歳であり、これは史上最年少のカップ優勝スキッパーでだったのだ。

それ以来、彼のアメリカスカップでのキャリアはジェットコースターのように浮き沈みの激しいものだった。2003年の大会ではチーム・ニュージーランドのスキッパーとしてカップ防衛に失敗し、その後2007年の大会ではチームを見事に建て直し、ルイヴィトンカップを制して挑戦者代表の座を勝ち取った。しかし決勝ではアリンギに2勝5敗し、カップ奪回はならなかった。

アリンギとラリー・エリソンのBMWオラクルの法廷闘争によってアメリカスカップが膠着している間、バーカーはTP52やRC44のサーキットで幾つかの勝利を挙げることによって、セーリングの経験を積み重ねてきた。また母国ニュージーランドにおいても、キールボート選手権に勝利すると共に、先週もマッチレース選手権において5度目となるタイトルを手にしたばかりだ。

そして彼は今チーム・ニュージーランドのリーダーとして、来年早々オークランドで開催されるルイヴィトン・パシフィック・シリーズでの勝利に向けて照準を合わせている。

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何がきっかけで、ヨットレースの世界に入ることになったのですか?

僕自身全然想像もつかなかった。ジュニア向けのランクから入って、最初に国際大会に出たのは17歳の時で、オランダで開かれたユース世界選手権に出場したのが、本当に初めて海外でのセーリング経験だった。その時本当に楽しかったから、もっとレースを続けていこうと思ったんだ。

国際レースにでるためには何でもしてきたよ。そして1996年にチーム・ニュージーランドに招かれて、初めて収入を得るようになった。といっても生活していく最低限のお金だったけどネ。そうやって、すこしずづキャリアを積んできたんだよ。

あなたが13歳の頃、どんなスポーツ選手になりたいとあこがれていましたか?

ヨット以外はどれも望みなしだった。小さい頃サッカーもしたし、学校ではラグビーも少ししたけど、そういうのはどれも向かなかった。

あなたの現在の仕事について、教えてください。

セーリングチームのリーダーであり、レーシングヨットのスキッパーでもある。そしてチームを進むべき方向へ導くよう心がけている。僕はいつでもベストをつくして仕事をするようにしているし、ボートのデザインやリーダーシップ、キャンペーン・マネジメント等々といった全ての面においてよりよく理解し、マッチレースやフリートレースに生かしていきたいと考えている。

チームの運営に際しては、グラント・ダルトンやケビン・シューブリッジと密接に働いている。

あなたの仕事で、何が一番気に入っていますか?

レースに出ることが一番だね。僕にとって、レースのスリルは何事にも代え難い。

一番嫌なことは?

望むような結果を出せなかったときのフラストレーションが一番嫌いだね。結果を出そうとして、それに届かなかったときは本当につらい。2007年バレンシアでのアメリカスカップに敗退した今が、正にそのケースだね。もし僕らが勝っていれば、今もアメリカスカップのレースが盛んに行われていたかもしれない。だから失敗した時のフラストレーションが一番嫌いだ。

チームの勝敗に対し、どの程度コントロールできますか?

僕らは勝てるボートを造るため、デザインチームと共同作業を行っている。組織というものは、それぞれの部門が対等に機能することが重要なんだ。チームの弱点にはなりたくないからね。でもセーリングというのは単にスピードとテクノロジーのスポーツじゃないから、ライバル達に対してどれだけ良いレースをできるかという点において、僕らセーリングチームのパフォーマンスには相当なプレッシャーが掛かっている。

あなたはセーリングというスポーツ、そしてあなたのチームが、一般社会からその価値にふさわしい注目を受けていると思いますか?

2007年カップ奪回を果たせなかったという非常に残念な結果となったにもかかわらず、多くの人たちがチームを後ろから支えてくれたし、また満足してくれたと思う。だから、僕は一般の人たちから素晴らしく支持されていると思うし、ものすごく高い評価を受けていると思う。

32b_2ニュージーランドではラグビーが注目されすぎていると思いますか?

まぁラグビーは国技と思われているし、オールブラックスはとても強い。彼らも僕らのようにワールドカップ奪回という高い目標に向けて頑張っていると思う。どちらもカップ奪回を目指しているというところでは、非常に似ているかもしれないね。でも彼らはトライネーションズ(南半球3カ国対抗戦)のテストマッチとかで毎年闘うことができるけど、僕らは3年とか4年といったサイクルでしか闘うことができない。実際アリンギとBMWオラクルの裁判がどれだけ掛かるかわからないしね・・・

あなたの競技人生で、最も誇りに思うことは何ですか?

一番誇れることは、ルイヴィトンカップでの勝利だと思う。なぜなら2003年ボロボロにやられたチームをグラント・ダルトンやケビン・シューブリッジ、そして多のメンバーと一緒になって殆ど完全に作り直し、そこまで持ってこれたことには本当に満足している。ある意味それはアメリカスカップで勝つよりも素晴らしいことだった。2000年アメリカスカップの第5レースでの勝利も素晴らしかったけど、より積極的にかかわって勝ち取ったルイヴィトンカップの方が誇れると思う。

一番嫌な思い出は?

間違いなく2003年のキャンペーンだ。僕らは一所懸命やったのに、ボロクソに言われたからなぁ。

引退するまでに実現したいことは何ですか?

何といってもアメリカスカップをニュージーランドへ持ち帰ってくることだ。2007年はあとちょっとだったけど、次のチャンスでは何としても実現したいね。だって今のような宙ブラりんの状態でずっと座って待っているなんていうのは、もうゴメンだから。

もしセーラーになっていなかったら、何になっていたと思いますか?

それは中々難しいな・・・ オークランド工科大学に通っていたころは経済とか経理とかいったことが好きだったから、間違いなくビジネスの世界にいたろうと思う。それが具体的にどんなものかは想像つかないけど、学校にいたときはいつも好きだったし楽しかったからね。

世界で一番だれを尊敬していますか?

僕はエドモンド・ヒラリー卿を深く尊敬している。彼は全てのニュージーランド人を本当に勇気付けてくれた存在だった。存命の人物でいうなら、グラント・ダルトンを本当に尊敬するね。彼は非常に困難な状況下でキャンペーンを引っ張ってきたし、彼のリーダーシップは周りの人間に響くものがある。

どのスポーツコーチから最も影響を受けましたか?

2006年バレンシアに向かう前にロビー・ディーンズとグラハム・ヘンリーに来てもらってコーチングを受けたことがあるけど、2人とも負けず劣らず選手をやる気にさせてくれた。2人はスタイルも信念も方法論も全く異なるけど、僕らは彼ら2人から殆ど同じくらい沢山のことを学んだと思う。彼らはどっちも素晴らしくアイディアにあふれていて、僕らに欠けていたところを補強してくれた。

あなたのお気に入りのセーリングスポットはどこですか?

僕はいつもハワイでセーリングするのが大好きなんだ。申し分ない貿易風と見事な波、実に素晴らしい気候だよ。もちろんオークランドでのレースも僕にとっては特別なものだ。ホームグラウンドでレースをすることは気持ちの良いことだからね。

ディーン・バーカー略歴:

1995年: ラッセル・クーツによってチーム・ニュージーランドのサンディエゴ・ベースへ招かれる。

2000年: チーム・ニュージーランドの正式メンバーとなり、オークランドでのアメリカスカップ防衛に参加。バーカーのマッチレーサーとしてのスキルは急速に上達し、2ボートトレーニングでの”Bボート”スキッパーとなる。チーム・ニュージーランドが4勝0敗とリードしカップに王手を掛けた第5レース、ラッセル・クーツにヘルムを譲られ、見事にカップ防衛を果たす。

2003年: 2000年アメリカスカップ防衛時の主要メンバーがごっそり抜けた後、バーカーはチーム・ニュージーランドのスキッパーに昇格するも、0勝5敗という悲惨な結果でカップを失う。

2004年: アテネ・オリンピックのフィン級ニュージーランド代表となる(13位)。

2007年: チーム・ニュージーランドを率いバレンシアでのルイヴィトンカップに勝利し、アメリカスカップを賭けたアリンギへの挑戦権を得るも、2勝5敗でスイスシンジゲートに敗れる。

by ニュージーランド・ヘラルド  ダナ・ヨハンセン (Dana Johannsen, The New Zealand Herald)

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