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2010年2月24日 (水)

サンディエゴは雨のち晴れ - みなさん、ありがとうございました

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現地時間の2月21日(日)サンディエゴ湾に面したネービーピアに係留されているミッドウェイ空母博物館において、アメリカスカップ凱旋セレモニーが開催されました。

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セレモニー会場は空母ミッドウェイの飛行甲板上に設営されていました。当日現地サンディエゴは時折雨が降る不安定な天候でしたが、開会前の午後3:00頃には雨もあがり、雲間から青空がのぞくようになっていました。

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1995年ラッセル・クーツ率いるチーム・ニュージーランドがデニス・コナーを破り持ち去って以来、ニュージーランド、スイスを経て、15年ぶりにサンディエゴへ帰還したアメリカスカップは、ガードマンに左右を固められながら壇上に鎮座していました。

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世界中のセーラーにとって憧れである"至高の銀杯"は、サンディエゴの夕日を受け眩しく輝いていました。

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表面にはロイヤル・ヨット・スコードロン・レガッタにおいて、ヨット「アメリカ」が勝ち取ったカップであることが明記されています。

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また、側面から背面へかけ、如何なる外国のヨットクラブも挑戦し得る「チャレンジカップ」として寄贈されたことが記されています。

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さらに下には過去の全レース結果がゴール時のタイム差に至るまで、ひとつひとつ刻印されています。ちなみに近年書き切れなくなってしまい、台座が一段追加されています。

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午後4:00頃クーツやスピットヒルら、チームメンバーが飛行甲板上へ登場。ファンたちとの会話や記念撮影に応じると共に

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

彼ら自身展示されている航空機を興味深げに見学していました。

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史上最年少のアメリカスカップ・ウィニングスキッパーとなったジェームス・スピットヒルは、複数のTV局からインタビュー攻めに合っていました。

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一方、ジョン・コステキを始めとする他のウィニングクルーは一列に並び、サイン会が行われました。

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サイン会が終わると、4人目の夫人である作家メラニー・クラフトを連れてラリー・エリソンが登場、記念式典が始まりました。

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

式典はまずサンディエゴ市長ジェリー・サンダースの挨拶から始まり、市に貢献した人物に贈られる「鍵」がラリー・エリソンに手渡されました。

これを受けたエリソンのスピーチは、こちらです。

この中でエリソンは以下のように語っています。

「挑戦艇<USA(BOR 90)>のテストを通して受けたサンディエゴ市民からの歓迎に謝意を表したい。サンダース市長から次回アメリカスカップを是非誘致したいと言われたが、まずはゴールデンゲート・ヨットクラブの本拠地サンフランシスコ市にチャンスを与えなければならない。ただし、開催地はチーム・ニュージーランドやプラダ、オリジン、ショショロザ、そして挑戦者代表であるマスカルツォーネ・ラティノといった他のチームとも協議した上で最終的に決定したいと考えており、防衛者単独で選定することは決してない」

また上記YouTubeには収められていませんが、この後さらにエリソンは、

「次回大会は防衛者に支配されるのではなく、独立した組織によって運営される。ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン、ニューヨーク・ヨットクラブ、サンディエゴ・ヨットクラブといった全ての関係者に関与してもらい、誰もが納得するフェアなルールを制定する。アンパイアもジュリーも独立した組織とする。誰にでも公平にカップを勝ち取るチャンスがあり、ただ速い者が勝つ。そこには策略など存在し得ないのだ!」

と高らかに宣言し、会場からの喝采を受けていました。

また、第2レースで<アリンギ5>と<USA>が絡んだレイライン上の攻防に関し、ジョン・コステキは以下のように語りました。

「マテオ・プラッツィ(ナビゲータ)がレイラインまであと何艇身かコールしてくれていたから、どのタイミングでタックするか準備は出来ていた。タックした直後は、アリンギとミートすると思った。もしかするとアリンギがダイアルダウンを仕掛けてくるかもしれないとも思った。でも、実際には彼らもタフな状況にいて、そんな余裕はなかった。だから少しディップしただけで、充分上マークまで上ることができた。僕らにとっては幸いだったよ」

また、サンディエゴ出身の女性と結婚し、ポイント・ロマに住居を構えているジミー・スピットヒルは、司会のトム・イーマンから「嫁さんと"何か"することがあるから、サンディエゴから離れようとしない」と散々からかわれながら、以下のように語りました。

「史上最大のウィングをもつボートに乗って早朝からサンディエゴベイを走り回ったことは、忘れられない経験となった。ところでご存知のとおり、僕の家はポイント・ロマのキレイな丘の上にあり、妻はサンディエゴの出身で、彼女の両親も近所に住んでるし、2歳の息子もここにいる。だから、次にカップを闘うときには家族に近くにいて欲しいと願ってるんだ。というわけで、次回カップをサンディエゴで開催するようラリーと交渉するから、みなさん期待してくれ」

とにかく和気あいあいな雰囲気に会場は包まれていました。ところで、この映像で下に出てくる邪魔な一眼レプカメラを良く見たら、私の物でした  (ゴメンなさい、後ろから撮ってるなんて全然知らなかったんだ・・・)

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さて、一通りのスピーチが終わった後、実際に闘ったウィニングクルーやサポートスタッフ、さらにデザインチームの全員が壇上に上がり、記念撮影が行われました。

以下はこの日の模様を伝える地元TV局CW6のレポートです。

このあとBMWオラクルの面々はアメリカスカップと共に初代カップウィナー<アメリカ>のレプリカへ移乗。

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かつてのカップ保持者サンディエゴ・ヨットクラブまで海上パレードを行ったのでした。

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

移動中も絶えずガードマンがカップを押さえています。実はこの日結構風が強く、ミッドウェイ上の壇上でも、カップはコトコト揺れていました。大きさの割りに意外と軽いのかもしれません。

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

スピットヒルも住むサンディエゴ有数の高級住宅地ポイント・ロマの海辺にサンディエゴ・ヨットクラブはあります。かつてカップの住居であった3角屋根のクラブハウスは、カップの帰還を待ち受けるクラブメンバーたちで溢れんばかりでした。

こうしてアメリカスカップは15年ぶりにサンディエゴ・ヨットクラブに戻り、改めて歓迎セレモニーが開かれました。その模様はSAILKARMAがアップしています。

冒頭今回のBMWオラクルの挑戦を記録したドキュメンタリーが、近くHDにてリリースされることが明らかにされました。

その他、長いインタビューの中で語られた内容は、サンフランシスコやミッドウェイの甲板上で披露された話とほぼ同じでしたが、最後に<USA>の最高速を尋ねられたスピットヒルは、まだウィングが一段低かったサンディエゴでのテスト時に、18ノットの風を受け、42ノット(!)をマークしたことがあると語っています。

こうしてサンディエゴでの長い一日は終わり、カリフォルニアでのビクトリーツアーも完了、BMWオラクルの挑戦は一つのピリオドを迎えたのでした。

今回の対戦を振り返ってみると、それまで挑戦者決定戦すら勝ち残ったことのないラリー・エリソンのBMWオラクルが、19世紀に制定された「贈与証書」の規定を最大限に利用し、また2億ドル(約180億円)ともいわれる豊富な資金力によってトップセーラーを囲い込み、誰も真似できないようなハイテクボートを建造して、アメリカスカップを強引にアメリカへ奪い返したということができます。

しかし、その前後におけるエリソンの言動を見る限り、決して私利私欲を満たす為だけの行動ではなかったことがわかります。カップを不本意な形で奪われたアリンギのエルネスト・ベルタレリは、本業である製薬会社を手放し、カップをネタにビジネスを展開しつつありました。それは、カップの保持者として当然の権利であったかもしれません。しかし、その為ルールや運営方法を自身に有利な方向へ誘導し、商売のネタであるカップを簡単には失わない体制を築こうとするがごとき行動は、明らかに行き過ぎていました。

エリソンが金にあかしてカップを手に入れたのも事実です。しかし、逆に言うと世界第4位の大富豪である彼にとっては、カップで食っていく必要などないのです。彼にはカップの良きパトロンとして、今後カップを私物化するような行動が二度と起きないような仕組みを是非築いて欲しいと思います。

それでは次回大会がどうなるのか?

今回サンフランシスコとサンディエゴでのビクトリーツアーの間、エリソンは既に12~16チームが、次回大会への参加に興味を示していると再三明言しています。

一体誰が現れるのか? これを考える上で、まず基本となるのは2007年の第32回アメリカスカップへ参加したチームでしょう。この内現段階で次回大会へも間違いなく参加すると考えられるのは、以下の5チームです。

  • BMWオラクルレーシング(アメリカ): 防衛者
  • マスカルツォーネ・ラティノ(イタリア): 挑戦者代表
  • エミレーツ・チーム・ニュージーランド(ニュージーランド)
  • ルナロッサ(イタリア)
  • チーム・ショショロザ(南アフリカ)

続いて恐らく参加する、或いは参加を前向きに検討中と思われるのは、以下のとおりです。

  • アリンギ(スイス)
  • ビクトリー・チャレンジ(スウェーデン)
  • チャイナ・チーム(中国)
  • オール・フォー・ワン(フランス:K-チャレンジ(仏)とチーム・ジャーマニー(独)が合流)

次に2007年の大会以降、次回大会への参加を表明しているチームは以下のとおりです(アリンギが進めていた"幻の第33回大会"に参加するため、竹の子のように次々と現れたチームは一応除外します)。

  • チーム・オリジン(イギリス)
  • チーム・フレンチスピリット(フランス)

これにBMWオラクルやチーム・ニュージーランドがルイヴィトンと共に立ち上げたワールド・セーリング・チーム・アソシエーション(World Sailing Team Association: WSTA)から以下のメンバーが加わると予想されます。

  • アルテミス(スウェーデン)
  • シナジー・ロシアン・セーリング・チーム(ロシア)
  • アズーラ(イタリア)

さらには、エリソンやクーツが披露した防衛者決定戦の復活により、以下の米国チームが参加する可能性があります。

  • ニューヨーク・ヨットクラブ
  • サンディエゴ・ヨットクラブ(チーム・デニス・コナー?)

思いつくまま候補を挙げたところで丁度16チームとなりました。前回大会でも非常に元気のあったイタリアからさらなる挑戦があるかもしれませんし、スペインからも出てくる可能性もあります。一方でスウェーデンから2チームが参加するのはしんどいかもしれません。

ということで、多少の変動はあるにせよ、基本的にはWSTAが中核となって現在のルイヴィトン・トロフィがアメリカスカップ本戦へ向けたサポートイベント(かつてのルイヴィトン・アクトのように)に衣替えし、世界を転戦することになると思われます。

そして、次回アメリカスカップの本戦は恐らく2013年アメリカ西海岸で開催されることになるでしょう。最近のエリソンの言動を見る限り、やはりサンフランシスコは有力な候補地です。風もよく、またセーリングの醍醐味を広く公衆にアピールする意味でも、大都市の目前でイベントを開催できることは大きな魅力です。

一方のサンディエゴは、かつて3度アメリカスカップを開催した実績がありますが、致命的に風が弱く、またレース海面も街から遠くなります。よって、スペクタクルなセーリングシーンをアピールするには、サンフランシスコに劣ります。従って、取りざたされているニューポートでの開催も含め、2年半の法廷闘争で一貫してBMWオラクルをサポートしてきたサンディエゴ・ヨットクラブとニューヨーク・ヨットクラブに敬意を表する意味で、検討のテーブルに一応乗せているだけと考えられます。

レースの使用艇に関しては、最終的にモノハルに落ち着くのではないでしょうか? 何故なら、ルイヴィトン・カップや防衛者決定戦の復活といったアイデアから、基本的に旧来のアメリカスカップへの回帰をBMWオラクルは目指している節があるからです。ただし、マルチハルのもつ恐るべきポテンシャルを見てしまったセーリングファンに、どういったボートを提案するか? 単にTP52を少し大きくしたようなボートでファンが納得するか? 問題は山積みです。

これに対し、サンディエゴでの式典中エリソンは以下のように語っていました。

「エンジニアリングの追求は重要だが、ウィングセールのような技術は誰にでも扱えるものではない。理想はエンジニアリングとセーリング技術の比重が50:50であることだ。次回アメリカスカップには、技術とスキルのバランスが取れたレースを目指したい」

ということで、これから始まる議論の中で、きっと皆が納得する提案をしてくれることでしょう。

今後のスケジュールですが、クーツはとりあえず3週間ほどゆっくり休みたいと語っていました。従って当面大きな動きはないと思われます。

以上の様に、今回のビクトリーツアーの終了をもって、第33回アメリカスカップを巡る一連の物語はエンディングを迎えました。

その最終日であるサンディエゴでのセレモニーにおいて、BMWオラクルのメンバーたちと触れ合えたことは、ブログ主とんべえにとっても大切な思い出となりました。

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すっかりミーハーに戻ったとんべえは、帽子・トレーナーとポスターにサインをかき集めていました。

イベントの途中、チームの広報責任者ジェーン・イーグルソンとも再会することができました。ジェーンはとんべえに向かって「私たちがカップと一緒に帰ってくるって信じてたでしょ!」と明るく語りかけてきたので、こちらからも「もちろん信じてたよ!」と返しておきました。本当に素晴らしいエンディングでした。

ということで、2年半に渡りサンディエゴからお伝えしてきた当ブログも、ここで一旦区切りを付けたいと思います。

これまでご愛読をいただき、また貴重なコメントやアドバイスをいただいた皆様、本当にありがとうございました。ここであらためてお礼を申し上げたいと思います。

といっても、当ブログを完全に閉鎖するつもりはありません。先にお伝えしたとおり、とんべえは近く日本へ帰国する予定となっています。よって、これからは少しペースダウンして、これは!というような情報があれば、今度は日本から少しずつアップしていきたいと思っていますので、宜しくお願いします。

帰国後とんべえはかつて所属していたJ/24のチームへ復帰し、再びレース活動を再開することになると思います。

とんべえとJ/24との付き合いは、まだ学生であった1988年の第8回J/24全日本選手権において、レース運営に携わったことが始まりでした。その年の全日本は強風に見舞われたシリーズでしたが、シアトル・ヨットクラブのマーク・ローラのヘルムにより、トップとリタイアを繰り返す強烈なチームがいました。それまで地方の弱小ヨット部に所属していたとんべえにとって、初めて目にする全日本レベル、特にトップかリタイアかという激しいレースを見せるその艇名が強く印象に残った貴重な経験でした。

その後関西に就職し、あるときJ/24に乗ってみないかという誘いを受けました。誘われたチームの名前を聞いて驚いたのは、全日本で強烈な印象を受けたそのチームだったからです。

それからかれこれ20年、今でもそのチームに籍を置き、とんべえ自身も1991年の碧南大会以来、海外で過ごした時期を除いて毎年J/24全日本選手権に参加してきました。近年日本のJ/24は非常にレベルアップしているため、最近は余り良い成績を残せていませんが、こちらも自分なりのペースで楽しめたらと思っています。

そして、今回の対戦を通して今感じていることは、やっぱり海に出よう!ということです。このブログをご覧になっている方で、もしまだヨットを経験されていない方がおられましたら、是非挑戦してみてください。もちろん最高峰であるアメリカスカップと草レースとでは全く次元が違いますが、それでもヨットは本当に楽しいスポーツです。

例えばJ/24がどんなに楽しいボートかというと・・・・

・・・という冗談はさておき、とにかく是非一度体験してみてください。

というわけで、とんべえも日本へ帰ります。もしどこかのハーバーで落書きだらけのBMWオラクル帽子をかぶっている人間がいたら、それはきっと私です。その時は、是非声を掛けてください。

それでは皆さん、日本でお会いしましょう!

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コメント

大金をかけた割にはACレースあっさり終わってしましい、なとなく淋しいですね!!
とんべい殿の文面も何となくしずんでるような??!!
さて、レース前、レース中、終わってからも素晴らしい情報、
有難うございました。毎回楽しみにブログ読まさせて頂きました。無事に日本に帰国されてください!!
お疲れ様でした!!!

投稿: Y | 2010年2月24日 (水) 14時31分

ありがとうございました。本当にこの一言に尽きます。近年、アメリカズカップの日本国内での報道がまったくといっていいほど無くなってきてしまった印象があって、絶望的な中での、ほんとうに、本当に貴重な情報源でした。ヒトの書いている感があって、とても楽しかったです。
船体構造は、また、大きく進歩してしまったのですね。カタマラン型は、数年前のNZの巨大船で速さに目を奪われましたが、さらにセール構造自体との相乗効果もあって、オラクル、強かったですねぇ。見ている側のわがままかもしれませんが、こういった突出した船体構造と、それを十二分に活かす操縦および操船技術の結果の勝利も楽しいのですが、ほとんど規格・クラス違いとも思える船体同士での勝負は、なんだか複雑な気持ちにさせられる部分もありました。
ちなみに、テレビなどでの少ない観戦の中で、今でも最も印象的に覚えているのは、少し前のアメリカ艇がペナルティで270度ターン?のペナルティ時に、本当にマーク時にブイすれすれのところをクルクルっと一周半回ったシーンですかねぇ。あぁ、デニスコナーって、やっぱりすごいんだって思った瞬間でした。

ありがとうございました。

投稿: KART | 2010年2月24日 (水) 15時08分

とんべえさんお疲れさまでした。<(_ _)>
今回のレースはいろんな意味でアメリカスカップの歴史の中でも、画期的なものだったと思います。
西村さんもそうですが、その貴重な時間・空間に立ち会えた事をとても羨ましく思います。
私は八十過ぎでたった一人、ヨットで太平洋を渡って来た爺さんとの約束がありますので、いつか自分の船で太平洋を渡ってサンディエゴへ行かねばなりません。
三年後にはまだ行けそうにありませんが、それまでカップがサンディエゴにあるといいのですが…

投稿: は~ま | 2010年2月25日 (木) 04時43分

とんべい殿、お疲れさまでした。

今年のJ24全日本は三河湾開催です。
お会いできるのを楽しみにしております。

投稿: yonosuke | 2010年2月25日 (木) 04時48分

Yさん
こちらこそ、いつもアドバイスありがとうごさいました。
プロならではの視点にいつも感心させられっぱなしでした。
また海上でお会いすることもあろうかと思いますが、その時はどうぞお手柔らかにお願いします!

KARTさん
こちらこそ、ありがとうございます。
おっしゃるとおりで、ハイテクだけでなく、操るものの神業的スキルが効いて来るような、そんなレースであって欲しいと私も思います。その意味で、エリソンが言う50:50というのには、ちょっと期待しています。

は~まさん
こちらこそ、ありがとうございます。
80過ぎで太平洋単独横断とは、スゴイ方ですね。は~まさんが挑戦されるときに、サンディエゴでお待ちしておくことが出来ないのは残念ですが、太平洋横断応援しています。

Yonosukeさん
こちらこそ、ありがとうございます。
というわけで、日本のJ/24界へ戻りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
何故かウチのチームと東海開催の全日本って相性良いんですよね。まだ、他のメンバーの意見を聞いていませんが、私自身は行く気満々ですので、どうかよろしくお願いいたします。

投稿: とんべえ | 2010年2月25日 (木) 06時24分

長い間にわたりACカップの情報ありがとうございました、
私、現在中国にいるので、こういった情報は中々入ってきません!それにNifyのサイトはブロックされているようで見れなかったんですけど、やっとACカップが始まる寸前に見れるようになってました、しかし、色々あったんですね~途中で33thの情報がサイトで見れなくなって、どうなっているのかやきもきしてました^^;でも終わってみればオラクルの圧勝、まぁ~これで以前の様なレースが行われるようなんで、昔からのファンとしては良かったかなと思ってますヮ、
実際にカップを見れるどんべいさんはうらやましいです、私もサンフランシスコに見に行こうかなどと思うこのごろです、本当にありがとうございました、、最後に一つ情報を!アメリカスカップですか一個、日本にありますよ^^;勿論レプリカですけど、本物と寸分たがわぬカップが^^;ホントに、どこで作られたかは秘密とか、どんべいさんならわかるかも!!^^

投稿: Long2 | 2010年2月25日 (木) 07時57分

Long2さん

こちらこそ、ありがとうございました。
中国からアクセスしていただいていたのですか。やはり彼地のネット環境は色々と制約があるのですね・・・

次回が本当にサンフランシスコ開催となると、日本からはアクセスしやすくなりますね。
私も次回は是非現地入りしたいと思っています。

アメリカスカップそっくりのカップが日本にあるんですか?それは是非見てみたいです!

19世紀にイギリスのガラードが作ったこのカップ、当時同一のモールドから数個つくられたため、全く同じものが幾つか世の中に存在しているという記事を以前どこかのサイトで見たような気がします。

また、当時のモールドが依然ガラードに残っていて、10年ほど前ニュージーランドでカップが暴漢により破壊された時、そのモールドを使って修復されたという話も聞いたことがあります。

ということで、19世紀にアメリカスカップと同時に作られた兄弟?或いはガラードのモールドで新作されたレプリカ?いずれにしろ、物好きな方が日本にはおられるのですねぇ。

投稿: とんべえ | 2010年2月26日 (金) 06時10分

そうですか〜お帰りですか。
今までありがとうございました。しかしこれからもっと近くなったのに残念ですね。
いつかSFで実物をみたいものです。 カップも化け物マルチも。

投稿: まなてぃ | 2010年2月27日 (土) 06時20分

帆走する喜びを一人のものから大勢の共感に変えるって
こういう事をいうんだろうな
と思いながら、このとんべえさんの書くブログを読ませていただいています。
帰国、J24参戦、御健闘お祈りします。
どこかの港で、サインだらけのオラクルのキャップを見たら
その瞳に写ったカップのお話を、思い切り拝聴させてもらいますので、宜しく御願いします。
ビールは我が輩が持参します。では、次の風で

投稿: daiichifukumaru | 2010年3月 1日 (月) 14時56分

とんべいさんお疲れ様です。

さて、stars-stripes.comのHP以下の記載があることを発見しました。
「We have the newest AC yacht…BMW/Oracle Racing ‘BOR-90’ Trimaran」

と、いうことは何時か体験乗船できるってことなのでしょうか?
興味津々です!

投稿: 海カエル | 2010年4月 5日 (月) 09時00分

書きかけの投稿
セイル素材に関するレース直前の攻防に関する
個人見解を書いたのですが、投稿には至りませんでしたが、
あえて投稿させていただきます。


素人目線の争点で恐縮ですが、

近年の急速なグローバリゼーションがナショナリズム(日本語で国家主義?)の定義を揺るがしているかのように思います。
実際、現在社会では、核、ゴミの輸出や、移民、難民問題などのような問題や、オリンピックで母国語を話さない選手の存在など
国家間を越えた問題が多く、責任の当事者が他国であったり、ミサイルの90パーセントはアメリカ製(技術大国製)、のように、技術の責任(利用、活用)が
国家に帰属できるのかどうかは現在グレーゾーンで誰も問わず今後、おそらく社会が、細分化、多様化に加速をかける場合、国家意識を個人の経済活動に求めるのも含め非常に困難になるのではないでしょうか。
そのため、ヨットのような最先端技術の有効活用、責任が、一国家に求められるのか、それとも
その技術を向上させようとする(競技精神)を持つもの全てに求められるのかという判断は、とても大切な判断になると思います。(争点)3DLの使用が防衛者にとって不正となると(レース不開催)、競技精神が失われる危険性があると思います。(これは一番大事)
防衛者が原産国を正当化できるようであれば、今後の(このレースを除きたい)純粋な競技精神の更なる礎になるのではないでしょうか。
この申し状は「負けんのコワいんか?」とも思えますが、ある意味全競技者に対する啓発でもあると思います。
贈与証書を書いたむかしの船乗りたちは何を求めてカップを手にしたのでしょう。
今の船乗りたちは何を求めてカップを手にしたがるのでしょう。
実際のプロテストは船上でとありましたが
もはや、我々の実社会は船上のプロテストを待つには、あまりにもこの争点を見失った者の存在が多く、この争点を事前に定義化させる必要があるように感じます。
船に乗って七つの海を駆けるなら、国家は小さく見えるような気がします。国家が船なら、操るのは乗り組み員、ヨットはこの構造を体で感じることができる宝だと思っています。

長くなってしまいましたが、船から教わることは本当に沢山ですね。

投稿: daiichifukumaru | 2010年4月23日 (金) 08時18分

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