カテゴリー「33rd America's Cup」の記事

2015年3月 4日 (水)

新生ニッポン挑戦作戦 発動!

前回の更新から少し間が空いてしまいました。その間、次回アメリカズカップの開催地発表、ニュージーランドのスキッパー、ディーン・バーカーのチーム離脱と、色々なニュースがありました。

しかし、我々日本人にとっての最大の関心事は、ウワサされる”第6の挑戦者”がどうなっているのか…では?

その真相が3月5日発売の Kazi 誌4月号に掲載されています。

http://www.kazi.co.jp/marine/kazi/2015/kz201504.html

詳細は西村一広さんによる記事をご覧頂くとして、とにかく

  • 日本がアメリカズカップに再挑戦することは、まったくの夢物語ではない!

のです。

そこで、まず第1ステップとして「ニッポンのユースアメリカズカップ参戦を真剣に考える」の活動を開始します。

前回サンフランシスコでのアメリカズカップは、フォイリングというセーリングの新しい可能性を示した画期的なイベントでした。以来、世界は新しい方向へ向けて着実に動きつつあります。我々だけが、とり残されるわけにはいきません。

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©ACEA/Photo Gilles Martin-Raget

そのために、まずこの↓フィールドへ日本チームを送りましょう!

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©ACEA/Photo Gilles Martin-Raget

世界が待ってるぜ!

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©ACEA/Photo Gilles Martin-Raget

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JSAFアメリカズカップ委員会は日本のアメリカズカップ再挑戦へ向けて活動しています。

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2014年11月28日 (金)

なぜラリー・エリソンはアメリカズカップにこだわるのか?(2)

先日お伝えしたオラクルチームUSAのオーナー、ラリー・エリソン氏とアメリカズカップの関わりについてストーリーの続きです。

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© ACEA/Photo Gilles Martin-Raget
Business Insider: Why Oracle Founder Larry Ellison NEEDS To Have The World's Greatest Competitive Team

爆弾低気圧の直撃を辛くも乗り切り、1998年のシドニー・ホバートレースを制したラリー・エリソンですが、当初はアメリカズカップに興味がなかったと言われています。

その彼がアメリカズカップに挑戦することになったきっかけについて、斉藤愛子さんが詳しくレポートされています。

斉藤愛子のSailing News: アメリカスカップ2003年情報 #1 ==あれから半年==

1995年サンディエゴで開催された第29回アメリカズカップにおいて、ラッセル・クーツ率いるチーム・ニュージーランドはデニス・コナーを破り、初めてカップをニュージーランドへもたらします。国民的英雄となったクーツは、2000年の第30回大会でも圧倒的強さを見せカップを防衛しますが、その直後チームの主要メンバーと共にスイスの大富豪エルネスト・ベルタレリ率いるアリンギへ電撃移籍してしまいます。

この衝撃的ニュースを<さよなら>のクルーから聞いたエリソンは、「それなら俺も」と自らのシンジゲートを立ち上げたのでした。BMWとジョイントし、BMWオラクルレーシングを設立したエリソンでしたが、2003年の第31回大会、2007年の第32回大会とも挑戦者決定戦(ルイヴィトンカップ)で敗退します。

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© Kazenotayori

一方、アリンギに移籍したクーツは2003年の第31回大会でも圧倒的強さを見せ、母国ニュージーランドからカップを奪い去ります。しかし、その後運営方針を巡りオーナーのベルタレリと対立、結局アリンギを去ります。そして、第32回大会終了と同時にオラクルへ移籍、エリソン&クーツの最強タッグが誕生したのでした。

その後のルールを巡るアリンギとの法廷闘争、そしてモンスターヨット同士の対決となった第33回大会については、2007年から続く当ブログで詳しく記したとおりです。

かぜのたより アメリカズカップ編: 33rd America's Cup (カテゴリー)

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© Jose Jordán/America's Cup Management

まぁ、今振り返ってみると全く先の見えない法廷での争いと、その結果生まれたルール無用の(厳密には19世紀の文書に則った)モンスターボート同士の対決と、かなりエキサイティングな第33回大会ではありました。それまでの"ヨット"というものの概念を完全に覆す怪鳥<USA17>をクーツと共に作り上げたエリソンは、アリンギとの一騎打ちを制し、遂にカップを手に入れるのでした。

エリソンにとっても、この第33回大会と<USA17>は特別な存在であるようで、現在もオラクル本社前に飾られ、また「オラクル・オープンワールド」のコンベンション会場へ引っ張り出されるなどしています。

さて、こうしてアメリカズカップに勝利したエリソンですが、この第33回大会だけで2億ドル(240億円)、さらに昨年の第34回大会には1億5千ドル(180億円)を投じたといわれており、その大半はオラクルからではなく、彼の自己資金から捻出されたともいわれています。

アメリカズカップの憲法である「贈与証書」の規定によると、現在のカップの所有者はエリソン個人でも、「オラクル・チームUSA」でもなく、彼らが所属するゴールデンゲート・ヨットクラブ(GGYC)ということになります。

GGYCには5名の委員からなる「アメリカズカップ委員会」が組織されており、エリソンとクーツもメンバーとして名を連ねています。よって、実質的には彼ら2人がアメリカズカップの行く末を決められる立場にあるといってよいでしょう。

そして、昨年開催された第34回大会において、彼らが伝統的なソフトセイルとモノハル艇を捨て、ウィングセイルとフォイリングカタマランによるダイナミックなスポーツへとアメリカズカップを変貌させたことはご存知のとおりです。

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©ACEA/Photo Gilles Martin-Raget

エリソンは一体どこをめざしているのか?

この疑問に対し、昨年サンフランシスコの自宅 (桂離宮を模したあの和風大豪邸) でCBSのニュースキャスター、チャーリー・ローズのインタビューを受けたエリソンは、以下のように答えています。

CBS News: Oracle CEO Ellison on America's Cup racing: "It has to be a little bit risky"

「我々はいかにして若者に受け入れられるスポーツになれるかを、他のスポーツと競い合っているところなんだ。セーリングをもっとエキサイティングで現代に合ったスポーツにしなければならない。いつまでも1851年のままというわけにはいかないからね」

----  新しいボートに対して『あれはもうアメリカズカップではない』『やりすぎだ』という批判がありますが?

「オリンピックにプロが出場することにだって批判はある。人は変化が嫌いなんだ。スケボーをオリンピック種目へ加えることにも多くの批判がある」

---- でもそれは別の話ですよね。これは単なる変更というレベルの話ではなくて、それまでの考え方を根本から変えてしまうような大変革です。

「例えばスノボを入れたことも、オリンピックにとって大変革だったといえるだろう。我々はスポーツを時代に合わせていかなければならないんだ」

---- でも、それはカネがかかると同時に危険でもあります。バート・シンプソンの事故はあなたにとって心の痛手となりませんでしたか?

「我々はアメリカズカップをエクストリームでエキサイティングなスポーツにすると決めた。だが、決してセーラーが怪我をするほど本当に危ないスポーツにするつもりはなかった。セーリングの世界は小さい。彼の死は家族が死んだのと同じで、決して忘れられるものではない」

---- この事故が起きたとき『やりすぎた』とは思いませんでしたか?

「それは私も考えた。だが、今は正しい選択をしたと思っている。セーリングを (一部金持ちのスポーツから) 広く経済的にも受け入れられるものにするには、もっと速くて先進的なボートが必要なんだ。テレビで観ても面白くて、若者の間でもっと人気が出るようなスポーツにならなければならない。そのためには、見ている人が少しハラハラするくらいの方がいいんだ」

--- あなたはもうアメリカズカップに勝利したではないですか。なぜラリー・エリソンほどの人物が『よっしゃ勝ったぞ!また最速のボートと最高のセーラーを揃えて何度でも勝ってやるぞ!』というような行動をとるのですか?

「おかしなことなんだが、2回続けて負けた後、私の性格的に負けているうちはやめられないことに気づいた。そして今度は勝った後、性格的に勝ってるうちはやめられないことに気づいたんだ。まるでワナにハマったようなもんだよ。私はタバコを吸わない代わりに、ヨットにハマってるんだ」

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エリソンとクーツがアメリカズカップのスタイルを全く変えてしまったことに、批判があるのは事実です。しかし、このインタビューからはセーリングの将来を憂い、変えていかなければならないという彼の強い信念が感じられます。

確かに昨年サンフランシスコでAC72によるバトルを観たとき、ブログ主とんべえも「こりゃスゲェ!」という衝撃を受けると同時に、ヨットレースが全く新しい次元に入ったことを実感しました。

セーリング人口がどんどん高齢化しているなか、次世代にこのスポーツの面白さを如何にして伝えるか、この命題に対するひとつの回答であることは間違いありません。

今年の9月ラリー・エリソンは長年勤めてきたオラクルのCEOを辞め、CTOに退きました。これによって空いた時間で、彼はこれまで以上にアメリカズカップに深く関わるであろうともウワサされています。これから彼とクーツがアメリカズカップの未来、そしてセーリングの未来に対しどのようなビジョンを示して行くか、今後も注視していきたいと思います。

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2014年11月16日 (日)

なぜラリー・エリソンはアメリカズカップにこだわるのか? (1)

2017年に開催される第35回アメリカズカップの行方を占う上で重要なカギを握っているのは、言うまでもなくオラクルチームUSAのオーナーであるラリー・エリソン氏です。

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© ACEA / PHOTO ABNER KINGMAN

IT企業オラクルの創立者であり、世界有数の億万長者であるラリー・エリソン。その彼が何故アメリカズカップにこだわるのか、興味深い記事が掲載されていたのでご紹介しましょう。

Business Insider: Why Oracle Founder Larry Ellison NEEDS To Have The World's Greatest Competitive Team

Royal Gazette: Ellison's key role in America's Cup decision

2014年版のフォーブス世界長者番付において、総資産494億ドル(5兆7000億円)で第5位にランキングされるラリー・エリソンがセーリングに出会ったのは、1966年カリフォルニア大学でセーリングクラスを受講した22歳のときでした。

すっかりセーリングの虜となったエリソンは、25歳のとき34フィートのレーシングスループ艇を購入します。

彼はセーリングの魅力についてこう語っています。

「誰にも邪魔されず、ただ風のまま旅をする。そんなセーリングの魅力にとりつかれてしまったんだよ」

その後、1977年にオラクルの前身であるSDL(Software Development Laboratories)を設立するなど超多忙となり、最初のヨットは程なく手放してしまいますが、彼のセーリングにかける情熱が失われることはありませんでした。

90年代に入り、エリソンは78フィートのヨット<さよなら>を購入し、高いレベルでのレース活動を開始します。ビジネス同様ここでも彼は素晴らしいリーダーシップとセーリングスキルをみせ、マキシクラスの世界チャンピオンに5度輝きます。

しかし、同時に厳しくつらい事態にも遭遇します。1998年オーストラリアで開催されたシドニー・ホバートレースに、エリソンは自ら<さよなら>のスキッパーとして参加します。

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© Youtube / CYCATV

シドニーをスタートし、タスマニアのホバートまでの630ノーティカルマイル(約1200km)を帆走するこのレースは、元々荒れることで有名でしたが、特に1998年のレースは爆弾低気圧の直撃を受け、最大風速は70ノットにも達し、参加114艇中5艇が船体放棄、66艇がリタイア。わずか44艇が完走する一方で55名がヘリで救助され、死者行方不明6名を出すという最悪のレースとなりました。

このレースでエリソンの<さよなら>は優勝を飾りますが、彼はレースに勝ったのではなく、ただ単に最初の生存者になったに過ぎないと、のちに語っています。

Courier Mail: Larry Ellison says 'never again' to Hobart race

「いつもあれは私の人生を変えた経験だったと思うんだ」

「素晴らしい天候の下、シドニーのハーバーを出発したあと、空は徐々に暗くなると共に風は激しくなっていった。そして12時間後には、当時の大会記録保持者が24時間で到達した地点を、我々は遥かに超えていた」

「つまり、大会記録の倍を超えるスピードで進んでいたんだ。こりゃスゴイぞ。でも一体どうなってるんだ?と思ったのを覚えているよ」

「<さよなら>は21ノット以上のスピードが出ていた。でも私は『そんなはずはない』と言い続けてたんだ。そのときはまだ普通の嵐で、その先に何が待っているか、我々には全くわかっていなかった」

70ノットの風と波にもみくちゃにされた後、風は俄かにおさまります。そのとき彼は「助かった!」と思いますが、じきにそれは間違いであると思い知らされるのです。

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© Youtube / CYCATV

そうです。彼らは爆弾低気圧の"目"に入ったのでした。

「<さよなら>には2台のノートPCを搭載していたんだが、その画面上に映し出される低気圧の中心のほんの右側に小さな"+"マークが表示されていた。実はそれが我々だったんだ。」

「我々は『助かった!』と思っていたが、実はまだ半分に過ぎなかったんだ」

そのときの海の状況は非常に恐ろしいものであったとエリソンは語っています。

「とにかく全てが普通じゃなかった。風の音はそれまで聞いたことがないほど、ものすごくカン高いものだった。空も異常なら波も異常。何もかもが異常だった」

この九死に一生をえるような経験にも関わらず、彼はセーリングへの情熱を保ち続けます。

<<つづく>>

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2013年7月30日 (火)

ところでアリンギは?

閑話休題、かつて王者の名を欲しいままにしたアリンギの近況が入って来ました。

40フィートレーシングカタマラン「エクストリーム40」を使用したサーキット「エクストリーム・セーリング・シリーズ」の第5戦ポルト大会で、惜しくも優勝は逃したものの、アリンギは最終日までその存在感を示したようです。

ちなみに、ポルトでは普段自らヘルムをとるオーナー、エルネスト・ベルタレリではなく、かつてマキシでブイブイいわせていたモーガン・ラーソン(アメリカ)が舵を握っていました。

かつてのエド・ベアードもそうでしたけど、”USA”を背負うオラクルに殆どアメリカ人がいない一方で、ライバルアリンギのヘルムをアメリカ人が握っているというのは、なんとも皮肉ですね。

元々アリンギはマルチハルがお家芸なんだから、変な意地張ってないでアメリカズカップに参戦すれば良いのに・・・って、前回の経緯を考えるとムリ??

以上、本日の小ネタでした。

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2013年7月21日 (日)

これがウィングセールの底力か!

7月7日に開幕したルイヴィトンカップも、今日がラウンドロビン3の最終戦。

AC72を建造し、ここまで残った挑戦者3チームの内、アルテミス(スウェーデン)は5月の転覆事故で1号艇を大破、依然2号艇の準備が整わず欠場中。ルナロッサ(イタリア)は安全対策に伴うルール変更に抗議して、初戦をボイコット。唯一エミレーツ・チームニュージーランド(ETNZ)だけが初戦から皆勤賞で、着々とポイントを重ねています。

こうした状況下、今日は7月13日以来2度目となるAC72同士の対戦となりました。結果は前回同様ETNZの勝利となりましたが、彼らの底力を前回と異なる形で世界に見せ付ける、驚くべきレースとなりました。

ラウンドロビン3 第3レース: ルナロッサ(S) ● - ○ エミレーツ・チーム・ニュージーランド(P)

今日のコンディションも前回同様、風速15~20ノットの南西風。まず ETNZ がルールに従い、先にスタートボックスへエントリー、続いて10秒後にルナロッサがエントリー。前回と異なり、両艇ともラインから一旦離れますが、まず後続のルナロッサがラインへ戻ります。続いてETNZも舳先をラインへ向け、フォイリングしながら猛然とルナロッサに襲い掛かります。そして、ルナロッサをラインへ押しやりながら、絶妙のタイミングでスタート。

レース序盤、ルナロッサは前回より安定感を増している感じで、先行する ETNZ に対し積極的に仕掛けますが、ジャイブロスがやや大きく徐々に離されます。

ドラマは最初の風上航の半ばで訪れます。順調にレースをリードする ETNZ のジブハリヤードが突然破損、ジブが落ちてきます。ここで ETNZ はジブをダウン、海中に投棄してレースを続行(ジブはチェイスボートが回収)。

ルナロッサにとって千載一遇のチャンス!…と思いきや、ETNZ のスピードが殆ど落ちません。ヘッドセールなしで見事なフォイリングを見せながら、リードを広げ、最終的に2分19秒差でルナロッサを破りました。

とにかく、ヘッドセールがないにもかかわらず、ボートスピードが殆ど変わらない。しかも、ヘッドセールを持つルナロッサが全く追いつけない。恐るべき底力を見せ付けました。

このシーンをみて、ブログ主のとんべえは、BMWオラクルの「USA」がレース途中からヘッドセールを下ろしながら、易々とアリンギの「アリンギ5」を破った第33回アメリカズカップの第1レースを思い出しました。

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

当時の解説によれば、ウィングセールは極めて効率が良いため、ヘッドセールは必ずしも必要でなく、むしろヘッドセールなしのほうが低ドラッグで走れるということでした。

さて、今回も圧倒的なパフォーマンスをみせたキウィセーラーたち。このまま大きな波乱もなく、ルイヴィトンカップを勝ち取り、"史上最強のセーリングチーム"を自称するオラクル・チームUSAと闘うことになるのか? 或いはルナロッサかアルテミスが、一矢報いるのか?ルイヴィトンカップはまだまだ続きます!

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2011年3月 1日 (火)

怪物の帰還 ~「USA」サンフランシスコに上陸

昨年2月バレンシアで開催された第33回アメリカズカップにおいてアリンギからカップを奪取したBMWオラクルのモンスタートリマラン「USA 17」は、現地時間の2月28日大会終了後初めてアメリカへ戻り、チームの本拠地であるサンフランシスコ港のピア80に上陸しました。

ORACLE Racing: America's Cup-winning trimaran USA 17 comes home to San Francisco

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Photo Copyright: BMW Oracle Racing/Gilles Martin-Raget

2008年8月にシアトル近郊のアナコルテスで建造・進水され、その後2009年末までサンディエゴでテストを重ね、決戦の場バレンシアへ旅立って以来、1年2ヶ月ぶりの米国帰還となりました。

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Photo Copyright: Oracle Racing/Gilles Martin-Raget

西海岸育ちの彼女ですが、実ははじめてのサンフランシスコ入りです。

是非あの怪物振りを、サンフランシスコベイで見せ付けて欲しいものです。

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2010年2月24日 (水)

サンディエゴは雨のち晴れ - みなさん、ありがとうございました

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現地時間の2月21日(日)サンディエゴ湾に面したネービーピアに係留されているミッドウェイ空母博物館において、アメリカスカップ凱旋セレモニーが開催されました。

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セレモニー会場は空母ミッドウェイの飛行甲板上に設営されていました。当日現地サンディエゴは時折雨が降る不安定な天候でしたが、開会前の午後3:00頃には雨もあがり、雲間から青空がのぞくようになっていました。

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1995年ラッセル・クーツ率いるチーム・ニュージーランドがデニス・コナーを破り持ち去って以来、ニュージーランド、スイスを経て、15年ぶりにサンディエゴへ帰還したアメリカスカップは、ガードマンに左右を固められながら壇上に鎮座していました。

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世界中のセーラーにとって憧れである"至高の銀杯"は、サンディエゴの夕日を受け眩しく輝いていました。

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表面にはロイヤル・ヨット・スコードロン・レガッタにおいて、ヨット「アメリカ」が勝ち取ったカップであることが明記されています。

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また、側面から背面へかけ、如何なる外国のヨットクラブも挑戦し得る「チャレンジカップ」として寄贈されたことが記されています。

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さらに下には過去の全レース結果がゴール時のタイム差に至るまで、ひとつひとつ刻印されています。ちなみに近年書き切れなくなってしまい、台座が一段追加されています。

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午後4:00頃クーツやスピットヒルら、チームメンバーが飛行甲板上へ登場。ファンたちとの会話や記念撮影に応じると共に

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

彼ら自身展示されている航空機を興味深げに見学していました。

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史上最年少のアメリカスカップ・ウィニングスキッパーとなったジェームス・スピットヒルは、複数のTV局からインタビュー攻めに合っていました。

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一方、ジョン・コステキを始めとする他のウィニングクルーは一列に並び、サイン会が行われました。

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サイン会が終わると、4人目の夫人である作家メラニー・クラフトを連れてラリー・エリソンが登場、記念式典が始まりました。

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

式典はまずサンディエゴ市長ジェリー・サンダースの挨拶から始まり、市に貢献した人物に贈られる「鍵」がラリー・エリソンに手渡されました。

これを受けたエリソンのスピーチは、こちらです。

この中でエリソンは以下のように語っています。

「挑戦艇<USA(BOR 90)>のテストを通して受けたサンディエゴ市民からの歓迎に謝意を表したい。サンダース市長から次回アメリカスカップを是非誘致したいと言われたが、まずはゴールデンゲート・ヨットクラブの本拠地サンフランシスコ市にチャンスを与えなければならない。ただし、開催地はチーム・ニュージーランドやプラダ、オリジン、ショショロザ、そして挑戦者代表であるマスカルツォーネ・ラティノといった他のチームとも協議した上で最終的に決定したいと考えており、防衛者単独で選定することは決してない」

また上記YouTubeには収められていませんが、この後さらにエリソンは、

「次回大会は防衛者に支配されるのではなく、独立した組織によって運営される。ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン、ニューヨーク・ヨットクラブ、サンディエゴ・ヨットクラブといった全ての関係者に関与してもらい、誰もが納得するフェアなルールを制定する。アンパイアもジュリーも独立した組織とする。誰にでも公平にカップを勝ち取るチャンスがあり、ただ速い者が勝つ。そこには策略など存在し得ないのだ!」

と高らかに宣言し、会場からの喝采を受けていました。

また、第2レースで<アリンギ5>と<USA>が絡んだレイライン上の攻防に関し、ジョン・コステキは以下のように語りました。

「マテオ・プラッツィ(ナビゲータ)がレイラインまであと何艇身かコールしてくれていたから、どのタイミングでタックするか準備は出来ていた。タックした直後は、アリンギとミートすると思った。もしかするとアリンギがダイアルダウンを仕掛けてくるかもしれないとも思った。でも、実際には彼らもタフな状況にいて、そんな余裕はなかった。だから少しディップしただけで、充分上マークまで上ることができた。僕らにとっては幸いだったよ」

また、サンディエゴ出身の女性と結婚し、ポイント・ロマに住居を構えているジミー・スピットヒルは、司会のトム・イーマンから「嫁さんと"何か"することがあるから、サンディエゴから離れようとしない」と散々からかわれながら、以下のように語りました。

「史上最大のウィングをもつボートに乗って早朝からサンディエゴベイを走り回ったことは、忘れられない経験となった。ところでご存知のとおり、僕の家はポイント・ロマのキレイな丘の上にあり、妻はサンディエゴの出身で、彼女の両親も近所に住んでるし、2歳の息子もここにいる。だから、次にカップを闘うときには家族に近くにいて欲しいと願ってるんだ。というわけで、次回カップをサンディエゴで開催するようラリーと交渉するから、みなさん期待してくれ」

とにかく和気あいあいな雰囲気に会場は包まれていました。ところで、この映像で下に出てくる邪魔な一眼レプカメラを良く見たら、私の物でした  (ゴメンなさい、後ろから撮ってるなんて全然知らなかったんだ・・・)

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さて、一通りのスピーチが終わった後、実際に闘ったウィニングクルーやサポートスタッフ、さらにデザインチームの全員が壇上に上がり、記念撮影が行われました。

以下はこの日の模様を伝える地元TV局CW6のレポートです。

このあとBMWオラクルの面々はアメリカスカップと共に初代カップウィナー<アメリカ>のレプリカへ移乗。

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かつてのカップ保持者サンディエゴ・ヨットクラブまで海上パレードを行ったのでした。

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

移動中も絶えずガードマンがカップを押さえています。実はこの日結構風が強く、ミッドウェイ上の壇上でも、カップはコトコト揺れていました。大きさの割りに意外と軽いのかもしれません。

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Photo Copyright: Gilles Martin-Raget/BMW ORACLE Racing

スピットヒルも住むサンディエゴ有数の高級住宅地ポイント・ロマの海辺にサンディエゴ・ヨットクラブはあります。かつてカップの住居であった3角屋根のクラブハウスは、カップの帰還を待ち受けるクラブメンバーたちで溢れんばかりでした。

こうしてアメリカスカップは15年ぶりにサンディエゴ・ヨットクラブに戻り、改めて歓迎セレモニーが開かれました。その模様はSAILKARMAがアップしています。

冒頭今回のBMWオラクルの挑戦を記録したドキュメンタリーが、近くHDにてリリースされることが明らかにされました。

その他、長いインタビューの中で語られた内容は、サンフランシスコやミッドウェイの甲板上で披露された話とほぼ同じでしたが、最後に<USA>の最高速を尋ねられたスピットヒルは、まだウィングが一段低かったサンディエゴでのテスト時に、18ノットの風を受け、42ノット(!)をマークしたことがあると語っています。

こうしてサンディエゴでの長い一日は終わり、カリフォルニアでのビクトリーツアーも完了、BMWオラクルの挑戦は一つのピリオドを迎えたのでした。

今回の対戦を振り返ってみると、それまで挑戦者決定戦すら勝ち残ったことのないラリー・エリソンのBMWオラクルが、19世紀に制定された「贈与証書」の規定を最大限に利用し、また2億ドル(約180億円)ともいわれる豊富な資金力によってトップセーラーを囲い込み、誰も真似できないようなハイテクボートを建造して、アメリカスカップを強引にアメリカへ奪い返したということができます。

しかし、その前後におけるエリソンの言動を見る限り、決して私利私欲を満たす為だけの行動ではなかったことがわかります。カップを不本意な形で奪われたアリンギのエルネスト・ベルタレリは、本業である製薬会社を手放し、カップをネタにビジネスを展開しつつありました。それは、カップの保持者として当然の権利であったかもしれません。しかし、その為ルールや運営方法を自身に有利な方向へ誘導し、商売のネタであるカップを簡単には失わない体制を築こうとするがごとき行動は、明らかに行き過ぎていました。

エリソンが金にあかしてカップを手に入れたのも事実です。しかし、逆に言うと世界第4位の大富豪である彼にとっては、カップで食っていく必要などないのです。彼にはカップの良きパトロンとして、今後カップを私物化するような行動が二度と起きないような仕組みを是非築いて欲しいと思います。

それでは次回大会がどうなるのか?

今回サンフランシスコとサンディエゴでのビクトリーツアーの間、エリソンは既に12~16チームが、次回大会への参加に興味を示していると再三明言しています。

一体誰が現れるのか? これを考える上で、まず基本となるのは2007年の第32回アメリカスカップへ参加したチームでしょう。この内現段階で次回大会へも間違いなく参加すると考えられるのは、以下の5チームです。

  • BMWオラクルレーシング(アメリカ): 防衛者
  • マスカルツォーネ・ラティノ(イタリア): 挑戦者代表
  • エミレーツ・チーム・ニュージーランド(ニュージーランド)
  • ルナロッサ(イタリア)
  • チーム・ショショロザ(南アフリカ)

続いて恐らく参加する、或いは参加を前向きに検討中と思われるのは、以下のとおりです。

  • アリンギ(スイス)
  • ビクトリー・チャレンジ(スウェーデン)
  • チャイナ・チーム(中国)
  • オール・フォー・ワン(フランス:K-チャレンジ(仏)とチーム・ジャーマニー(独)が合流)

次に2007年の大会以降、次回大会への参加を表明しているチームは以下のとおりです(アリンギが進めていた"幻の第33回大会"に参加するため、竹の子のように次々と現れたチームは一応除外します)。

  • チーム・オリジン(イギリス)
  • チーム・フレンチスピリット(フランス)

これにBMWオラクルやチーム・ニュージーランドがルイヴィトンと共に立ち上げたワールド・セーリング・チーム・アソシエーション(World Sailing Team Association: WSTA)から以下のメンバーが加わると予想されます。

  • アルテミス(スウェーデン)
  • シナジー・ロシアン・セーリング・チーム(ロシア)
  • アズーラ(イタリア)

さらには、エリソンやクーツが披露した防衛者決定戦の復活により、以下の米国チームが参加する可能性があります。

  • ニューヨーク・ヨットクラブ
  • サンディエゴ・ヨットクラブ(チーム・デニス・コナー?)

思いつくまま候補を挙げたところで丁度16チームとなりました。前回大会でも非常に元気のあったイタリアからさらなる挑戦があるかもしれませんし、スペインからも出てくる可能性もあります。一方でスウェーデンから2チームが参加するのはしんどいかもしれません。

ということで、多少の変動はあるにせよ、基本的にはWSTAが中核となって現在のルイヴィトン・トロフィがアメリカスカップ本戦へ向けたサポートイベント(かつてのルイヴィトン・アクトのように)に衣替えし、世界を転戦することになると思われます。

そして、次回アメリカスカップの本戦は恐らく2013年アメリカ西海岸で開催されることになるでしょう。最近のエリソンの言動を見る限り、やはりサンフランシスコは有力な候補地です。風もよく、またセーリングの醍醐味を広く公衆にアピールする意味でも、大都市の目前でイベントを開催できることは大きな魅力です。

一方のサンディエゴは、かつて3度アメリカスカップを開催した実績がありますが、致命的に風が弱く、またレース海面も街から遠くなります。よって、スペクタクルなセーリングシーンをアピールするには、サンフランシスコに劣ります。従って、取りざたされているニューポートでの開催も含め、2年半の法廷闘争で一貫してBMWオラクルをサポートしてきたサンディエゴ・ヨットクラブとニューヨーク・ヨットクラブに敬意を表する意味で、検討のテーブルに一応乗せているだけと考えられます。

レースの使用艇に関しては、最終的にモノハルに落ち着くのではないでしょうか? 何故なら、ルイヴィトン・カップや防衛者決定戦の復活といったアイデアから、基本的に旧来のアメリカスカップへの回帰をBMWオラクルは目指している節があるからです。ただし、マルチハルのもつ恐るべきポテンシャルを見てしまったセーリングファンに、どういったボートを提案するか? 単にTP52を少し大きくしたようなボートでファンが納得するか? 問題は山積みです。

これに対し、サンディエゴでの式典中エリソンは以下のように語っていました。

「エンジニアリングの追求は重要だが、ウィングセールのような技術は誰にでも扱えるものではない。理想はエンジニアリングとセーリング技術の比重が50:50であることだ。次回アメリカスカップには、技術とスキルのバランスが取れたレースを目指したい」

ということで、これから始まる議論の中で、きっと皆が納得する提案をしてくれることでしょう。

今後のスケジュールですが、クーツはとりあえず3週間ほどゆっくり休みたいと語っていました。従って当面大きな動きはないと思われます。

以上の様に、今回のビクトリーツアーの終了をもって、第33回アメリカスカップを巡る一連の物語はエンディングを迎えました。

その最終日であるサンディエゴでのセレモニーにおいて、BMWオラクルのメンバーたちと触れ合えたことは、ブログ主とんべえにとっても大切な思い出となりました。

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すっかりミーハーに戻ったとんべえは、帽子・トレーナーとポスターにサインをかき集めていました。

イベントの途中、チームの広報責任者ジェーン・イーグルソンとも再会することができました。ジェーンはとんべえに向かって「私たちがカップと一緒に帰ってくるって信じてたでしょ!」と明るく語りかけてきたので、こちらからも「もちろん信じてたよ!」と返しておきました。本当に素晴らしいエンディングでした。

ということで、2年半に渡りサンディエゴからお伝えしてきた当ブログも、ここで一旦区切りを付けたいと思います。

これまでご愛読をいただき、また貴重なコメントやアドバイスをいただいた皆様、本当にありがとうございました。ここであらためてお礼を申し上げたいと思います。

といっても、当ブログを完全に閉鎖するつもりはありません。先にお伝えしたとおり、とんべえは近く日本へ帰国する予定となっています。よって、これからは少しペースダウンして、これは!というような情報があれば、今度は日本から少しずつアップしていきたいと思っていますので、宜しくお願いします。

帰国後とんべえはかつて所属していたJ/24のチームへ復帰し、再びレース活動を再開することになると思います。

とんべえとJ/24との付き合いは、まだ学生であった1988年の第8回J/24全日本選手権において、レース運営に携わったことが始まりでした。その年の全日本は強風に見舞われたシリーズでしたが、シアトル・ヨットクラブのマーク・ローラのヘルムにより、トップとリタイアを繰り返す強烈なチームがいました。それまで地方の弱小ヨット部に所属していたとんべえにとって、初めて目にする全日本レベル、特にトップかリタイアかという激しいレースを見せるその艇名が強く印象に残った貴重な経験でした。

その後関西に就職し、あるときJ/24に乗ってみないかという誘いを受けました。誘われたチームの名前を聞いて驚いたのは、全日本で強烈な印象を受けたそのチームだったからです。

それからかれこれ20年、今でもそのチームに籍を置き、とんべえ自身も1991年の碧南大会以来、海外で過ごした時期を除いて毎年J/24全日本選手権に参加してきました。近年日本のJ/24は非常にレベルアップしているため、最近は余り良い成績を残せていませんが、こちらも自分なりのペースで楽しめたらと思っています。

そして、今回の対戦を通して今感じていることは、やっぱり海に出よう!ということです。このブログをご覧になっている方で、もしまだヨットを経験されていない方がおられましたら、是非挑戦してみてください。もちろん最高峰であるアメリカスカップと草レースとでは全く次元が違いますが、それでもヨットは本当に楽しいスポーツです。

例えばJ/24がどんなに楽しいボートかというと・・・・

・・・という冗談はさておき、とにかく是非一度体験してみてください。

というわけで、とんべえも日本へ帰ります。もしどこかのハーバーで落書きだらけのBMWオラクル帽子をかぶっている人間がいたら、それはきっと私です。その時は、是非声を掛けてください。

それでは皆さん、日本でお会いしましょう!

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2010年2月18日 (木)

カップがサンディエゴへやってくる

BMWオラクルの公式ブログによると、新たにゴールデンゲート・ヨットクラブ(GGYC:BMWオラクルの所属母体)の物となったアメリカスカップは、2月19日ファーストクラスに乗ってバレンシアからサンフランシスコ入りし、空港で歓迎式典が行われた後、GGYCへ向かいます。

さらに翌20日はサンフランシスコ市役所でラリー・エリソンや市長臨席の式典が行われた後一般公開され、21日にはサンディエゴへ移動、ミットウェイ空母博物館で公開されるということです。

BMW ORACLE Blog: The America's Cup Victory Tour

ブログ主とんべえにとっても、15年前サンディエゴ・ヨットクラブで対面して以来15年ぶりです。たのしみたのしみ!

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2010年2月17日 (水)

第2レースのスタートは紙一重だった - ハロルド・ベネット

カップが終わって、ちょっと放心状態のブログ主とんべえです。

終わってみると呆気なかったですが、でもBMWオラクルの「USA」は本当に度肝を抜かれるボートでした。とんべえが見たのは「USA」がまだ「BOR 90」と呼ばれ、サンディエゴでテストを繰り返していたころですが、それでもあのハードウィングセイルは一目見ただけでホントに圧倒されます。なにしろ20階建てビル並のデカさですから・・・

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Copyright: BMW ORACLE Racing

自分で見たから(しかも挑戦艇だけ)いう訳ではありませんが、でも、あのデカさ、言い換えれば、あの常識外れのバカバカしさを見なければ、今回のカップの本質は理解できないんじゃないかと思います。20階建ビルが時速50~60kmで走ってくるというと、そのバカバカしさが伝わるでしょうか。 多分それが今回のレースの本質だったんでしょう。

こんなバカげた対戦は2度と行われないでしょう。その意味で、今回現地で本当に対戦を目にした人は本当に幸せです。これから「USA」と「アリンギ5」がどうなるのか一切伝わってきませんが、是非とも人々の目に触れる形で残して欲しいと思います。

話は少し前後しますが、カップ奪回に対するアメリカの反応を少しお伝えしておきます。

下記は一夜明けた2月15日付の全国紙「USA TODAY」とサンディエゴの地元紙「San Diego Union Tribune」のスポーツ欄です。

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15年ぶりにカップがアメリカに戻ってくるということで、さぞ現地は熱狂しているかというと、実はTVニュースでもほんの少し触れられただけ。新聞も一面はおろか、スポーツ面の、しかも隅っこに小さく載っているだけです。バンクーバー・オリンピック、更にはNASCARのデイトナ500の陰に完全に隠れてしまった感じです。

今回アリンギ・オラクル両チームのセーリングメンバーを見渡しても、アメリカ人セーラーはジョン・コステキただ一人(ラリー・エリソンは別として)。アメリカのセーリング界も停滞気味で、カップへの興味もすっかり薄れてしまったようです。デニス・コナーがカップを奪回し、レーガン大統領にホワイトハウスへ招待されたあの熱狂は、遠い昔なのでしょうか?

さて、このところアリンギ批判を強めているかのごとき当ブログですが、またアリンギ側のいやな話が伝わってきました。

ニュージーランド・ヘラルド紙が伝えるところによると、去る2月14日に行われた第33回アメリカスカップの第2レースにおいて、6時間に渡る延期の末、レースをスタートしようとしていたレース委員長ハロルド・ベネットは、レースをさせまいとするソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブ(SNG:アリンギの所属母体)の妨害を受け、もう少しのところで「PM4:30以降はスタートしない」という規定に引っかかるところであったそうです。

NZ Herald: How a NZ official stared down Alinghi team

この記事によると、4時間に渡る海上待機の後、ようやくレースを開催できる風が吹いてきたため、ベネットはPM4:00にAP旗を降ろすようコミッティに指示しました。しかし、ベネット以外全てSNGのメンバーで構成されているコミッティは、ハロルドの指示を拒否したのだそうです。SNGがレースのスタートを拒んだ理由は、「アリンギ5」にとって不利となる波が海面に残っていたからと考えられています。

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Photo Copyright: Guilain Grenier/BMW ORACLE Racing

ベネットは友人に宛てたEメールで以下のように語っています。

「レース委員長に対し、スタートを取り止めさせようとするような非常識な行動がコミッティボート上で繰り広げられるなんて、私はこれまで見たことがない」

窮地に追い込まれたベネットは、コミッティボートに乗り合わせていたBMWオラクルのトム・イーマンに助けを求め、またアンパイアの資格を持っている人物がサポートボートに乗っていたため、その助けも受けて最終的にタイムリミット5分前というギリギリのタイミングでレースをスタートするのに成功したということです。

当時の予報によれば、次のレース予定日であった2月16日(火)以降現地バレンシアは荒れ模様となることが予想されていたため、もしこの日にレースが行われなかった場合、再び何日もレースが延期になる可能性があったのだそうです。

これに対しベネットは以下のように続けています。

「もし、あの日レースをスタートできていなかったとしたら、次のレースにはSNGの連中を陸上に残し、スペインにいる私の友人達を連れて行かなきゃならなかっただろうね」

確かに映像を見ていても、波にあおられピッチングする「アリンギ5」の姿は苦しそうでした。だから、この波ではやりたくなかったのか、或いは単に一日でも長くタイトルホルダーで居たかったのか・・・

タイトルを失った途端、王者アリンギを非難するかのごとき行動は、決して本意ではありませんが、でもやっぱり何だかなぁ~と思います。(アリンギファンのみなさん、ゴメンナサイ!)

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2010年2月14日 (日)

【速報】BMWオラクルが連勝、アメリカスカップは15年ぶりにアメリカへ!

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Photo Copyright: Guilain Grenier/BMW ORACLE Racing

結果的に大差がつきましたが、見応えのあるレースでした。

風の振れや強弱がアリンギに有利に働いたこと、またレース途中からベルタレリに代わってヘルムをとったロイック・ペイロンが素晴らしいステアを見せたことから、予想に反し前半は接近戦となりましたが、上マーク回航後は、最高速度33ktをマークしながら快走する「USA」の一方的な展開となり、最終的にBMWオラクルが5分21秒差で勝利を納めました。

その結果、2月12日に行われた第1レースに引き続き連勝したBMWオラクルは、15年ぶりに"至高の銀杯"をアメリカへ持ち帰ることに成功しました。

なお、今日の第2レースにはBMWオラクルのオーナー ラリー・エリソン、更に15年前カップをアメリカから奪取した張本人ラッセル・クーツも「USA」に搭乗し、共にレースを闘っています。

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スタートの遅れを挽回し、「USA」の前を切る「アリンギ5」 Photo Copyright: Guilain Grenier/BMW ORACLE Racing

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ゴール後ガッツポーズを見せる「USA」クルー Photo Copyright: Guilain Grenier/BMW ORACLE Racing

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高々とカップを掲げるスピットヒル、クーツ、エリソン、コステキ(左から) Photo Copyright: Guilain Grenier/BMW ORACLE Racing

レース後のアリンギ・BMWオラクルの記者会見、及びカップ授与式の模様

Watch live streaming video from bmworacleracing at livestream.com

BMWオラクル関係者のコメント

ラリー・エリソン(オーナー):「全く最高の気分だ。このチームの一員であることを本当に誇りに思うよ。これほどにまで誇らしく感じたことは今までになかったくらいだ。そして長い年月を経てアメリカスカップをアメリカへ持ち帰ることを、この上なく誇りに思う」

「(次回大会の開催地について)まだ一切決めていない。サンフランシスコはもとより、サンディエゴ、ニューポートの人々からの支援を受けて来た。もちろんサンフランシスコの当局とも協議する必要がある。我々の目標は多数チームが参加する次回大会の開催だ。したがって、それらチームのベースを如何に準備するかも検討課題だ。」

「あらゆる選択肢について検討する用意がある。バレンシアは過去2回に渡りカップの開催地として見事な役割を果たしてきた。ご存知のように、元々アリンギはバレンシア以外の場所での開催を計画していたのだが、我々自身がバレンシアでの開催を強く求めた結果ここで開催された経緯もある。第32回大会、33回大会を通じ、バレンシアでのレースを我々は楽しむことができた」

「(次回大会の挑戦者代表:チャレンジャー・オブ・レコードについて)今いえることは、既に挑戦者代表は決まっているということだけだ。第34回大会に関し約束しておきたい。即ち、ジュリーもアンパイアも防衛者から完全に独立した存在となる。次回カップの運営も独立した組織が行い、全ての参加者にとって公平な条件が用意されることになる」

ジェームズ・スピットヒル(スキッパー兼ヘルムス): 「最高の気分だよ。チーム全員がこのボートに全力を投入してくれたお陰で、何の問題もなく2レースを闘うことができた。この気持ちをショアチームのスタッフ、トレーナー、そしてサポートチームと設計チームの全てのメンバーに伝えたい。彼らは本当に素晴らしい道具を僕らに与えれくれた」

「素晴らしいレースだったよ。勝敗はどっちに転ぶかわからなかった。あれほどにまで風が右にシフトするとは思ってなかったから、前半はかなりドキドキしたよ」

ラッセル・クーツ(チームCEO): 「今回は非常に厳しいイベントだった。ほんの2・3ヶ月前ですら、アリンギに勝てるかどうかわからなかった。なぜなら私自身アリンギにいたことがあり、彼らがどんなに手強いかよくわかっていたからだ。僕らのチームの素晴らしい努力が彼らを破る結果に結びついたんだ。アリンギにはまた戻ってきて、是非もう一度アメリカスカップを争ってほしいね」

ジョン・コステキ(タクティシャン): 「物凄いことだよ。僕は25年間もアメリカスカップを勝ち取ることを夢見てきたんだ。だから、とても特別な瞬間だよ。僕らは本当に素晴らしいチームであり、みんなで一丸となって闘ってきたんだ。特にウィングセイルを導入してからは、非常に難しいプロジェクトだったし、何度もテストを繰り返してきた」

アリンギ関係者のコメント

エルネスト・ベルタレリ(オーナー兼ヘルムス): 「過去10年に渡るアリンギの活動を見守ってきてくれた人たちなら、きっと私の今の気持ちを理解してくれることだろう。アリンギのチームで働いたり、チームを応援し見守ってくれた人たちの間には、いつも暖かく、魂がこもった友情があった。だから、これまで我々が築き上げてきたことを心から誇りに思う」

「アメリカスカップの将来は、もはや私が決めることではなくなったから、将来カップがどこへ進むのか見守ろうと思っている。その上で、どうするかを決めるよ」

「連中には戦略があった。彼らにはニューヨークの司法制度からのちょっとした手助けがあった。我々ヨーロッパ人が同じような恩恵を受けようとしても、いつもややこしいだけだった。連中は我々のボートをみて自分たちのボートを改造することができたし、ウィングを導入することもできた。そして、彼らは我々より速かった。だから、かれらは上手くやったよ。もしこれがユーロカップであれば、私にも同じようなことができたかもしれないが、これはアメリカスカップだ。だから、彼らにはちょっとしたアドバンテージがあり、結局カップを取り戻すことに成功したというわけだ。これからどういうことになるか、見守っていこうじゃないか」

「私が思うに、アリンギが残した最大の功績は、アメリカスカップに勝った最初のヨーロッパチームであるということではないだろうか(会場から大きな拍手)」

その他関係者のコメントについては、順次この記事に追記していきますので、改めてご覧ください。

また第2レースの詳細については、ハイライト映像がオープンとなった後、別途アップします。

(当ブログの掲載写真は、33rd America's Cup/Alinghi/BMW ORACLE Racing の使用規則に則り使用していますので、転載はご遠慮ください)

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